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「夜行列車の記憶」 [趣味 鉄道]

「夜行列車の記憶」

尊敬する鉄道カメラマン広田尚敬のデータを基に全国各地を
歩きましたが、当時の旅程を思い出しています。
西行きの場合は、東京発午前11時半頃の急行高千穂・雲仙、
北行きの場合は、上野発午後7時頃の急行八甲田、これが定
番でした。
寝台車なんて贅沢!
帰省シーズンですと、この両列車は大変に混みました。
トイレ行きも弁当買いも、ままなりませんでした。
中国の正月列車のような光景が、昭和の時代には日本にも
ありました。
上野駅前のテント村(夜行まで朝から並んで待つ場所)は
高速道路の発達とともに、いつの間にか姿を消しましたね。

二十歳くらいになってもスキー、山登りのために上野や新宿
駅に朝から並ぶことありました。
出入り口から乗れずに、窓から乗り込むこともよくありました
が、乗客の皆が当たり前と思っていたし、山に行く・スキーに
行くことが目的でしたから、誰もが協力して乗車を手伝った
ものです。
たまに他の目的の乗客が居れば、誰彼となく気を遣って席を
譲ったものです。(せっかく確保した夜行列車の座席なのに)
あの一体感というか、やさしさは今の時代には無いですね。

まあ新宿には歌声喫茶なんてあったし、連帯が好きな時代で
した。

楽しい苦労をして早朝広島駅に着いて、しばらく時間をつぶし
撮影したのがこの写真です。

広島駅のC62と新見機関区(糸崎かも)のD51です。
広島駅で乗客を待つ電車も良い味出しています(と思います)。
広島行きの目的はC62牽引の急行「安芸」でした。
良い写真が撮れず、がっかりの記憶があります。
ヘッドマーク「あき」だけをアップします。
(あいまいな記憶は、毎週末資料を整理して補足訂正します)
c62広島のコピー.jpg
d51755糸崎.jpg
あき.jpg


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